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ヒポクラテスが「誓い」を必要とした理由と日本の医療界の現状(その2/2)

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2010年12月02日(Thu) 16:52 by drharasho

ヒポクラテスが「誓い」を必要とした理由と日本の医療界の現状(その2/2)
健保連 大阪中央病院 顧問 平岡 諦

2010年12月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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新しい医療倫理観の起源とその発展:

新しい医療倫理観とは戦後、世界医師会が中心となって形作った医療倫理観である。

「終戦後、ナチの精神科医や他の医師や人類学者など犯行に及んだ者が逮捕され、
彼らに対する国際軍事裁判が終戦の翌年(1946年)に、ドイツのニュールンベルクで
行われました。この裁判で判明した犯罪の内容を参考にして、二度とこのような
残虐な人体実験が起こらないようにするための倫理的歯止めについての研究が行
われ、その成果は10カ条にまとめられ、同地で1947年に『ニュールンベルク倫理綱領』
として採択されました。」(星野一正著「インフォームド・コンセント;日本に
馴染む六つの提言」丸善ライブラリー、平成9年)

新しい医療倫理観の起源はこのニュールンベルク倫理綱領の第一項にある。そこ
では「人体実験の被験者の人権を担保するためには被験者の自発的な同意が必須
(すなわち、被験者の人権が第一に重要)」であり、「その質を確保(すなわち、
被験者の人権を擁護)する義務と責任は実験実施責任者にある(すなわち、これが
人体実験の倫理である)」と言っているのである。

被験者を患者に、実験実施責任者を医師に読み替えると「患者の人権が医療倫理の
第一」となるのである。被験者から患者への読み替えを行い、さらに発展させたの
が世界医師会である。

またニュールンベルク倫理綱領の第一項に示されている、「充分に内容を知らされ
た後の (should be made known to him)、自発的同意 (voluntary consent) 」が、
先(その1/2)に述べた患者の人権を担保するために必須のinformed consentの
原型である。

世界医師会が新しい医療倫理観を発展させた経過概略はつぎのようになる。ニュー
ルンベルク倫理綱領は人体実験という特殊な状況における倫理的歯止めの研究の結果
であった。その成果を受けて、世界医師会は普遍的な医師・患者関係における倫理
綱領として“まず”発展させた。そしてジュネーブ宣言 (Declaration of Geneva, 1948)、
WMA医の国際倫理綱領 (WMA International Code of Medical Ethics, 1949)、などを
順次採択していく。その後に、臨床(人体)実験という特殊な医師・患者関係における
倫理綱領としてのヘルシンキ宣言(Declaration of Helsinki, 1964) を採択した。
さらにニュールンベルク倫理綱領に含まれるinformed consentの内容を実際の医療に
合わせた修正ヘルシンキ宣言を採択したのが世界医師会の東京総会(1975)である。

新しい医療倫理観と「ヒポクラテスの誓い」:

「患者の人権が医療倫理の第一(To put the patient first)」という新しい医療
倫理観を受け入れた世界医師会が最初に行ったのは、それまでの「古い」医療倫理観、
とくに「ヒポクラテスの誓い」の位置づけであった。それを行ったのがジュネーブ宣言
(1948年採択)である。

ジュネーブ宣言の形式は「ヒポクラテスの誓い」をまねている。「ヒポクラテスの誓い」
では医師の一人として「ギリシャの医神たちに誓う」のに対して、ジュネーブ宣言では
医師の一人として「自身の自由と名誉にかけて誓う」としているのである。

つぎに内容である。ジュネーブ宣言で誓う内容は10項目ある。そのうち最初の8項目が
「ヒポクラテスの誓い」の内容に相当する。そして、残り最後の2項目が『ニュールン
ベルク倫理綱領』に則した内容である。

最初の8項目とは、「人類への奉仕に自分の人生を捧げる」、「教師に当然の感謝と
尊敬の念を捧げる」、「良心と尊厳をもって医療を行う」、「患者の健康を第一の関心事
とする」、「守秘義務を守る」、「医師専門職の名誉と高貴な伝統を守る」、「同僚は
同胞と思う」、「どのような要因があろうと患者を区別しない」である。

最後の2項目が「患者の人権」を第一とする新しい医療倫理観を表現している。以下に
その2項目を示すが、翻訳は日本医師会のホームページより取ったものである。

I will maintain the utmost respect for human life.
「私は、人命を最大限に尊重し続ける。」(すなわち、ニュールンベルク裁判で弾劾
された『人道に対する罪』への反省の意味である。)

I will not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties,
even under threat.
「私は、たとえ強迫の下であっても、人権や国民の自由を犯すために、自分の医学的知識を
利用することはしない。」(すなわち、「時の権力」による強迫があっても、「(患者の)
人権」を擁護することを誓ったのだ。)

最近発表された世界医師会の「WMA医の倫理マニュアル」(日本医師会発行は2009年)では、
「ヒポクラテスの誓い」はじめ「古い」医療倫理観にもとづく内容は、compassion(共感)
とcompetence(能力)という言葉に集約されている。そして、「患者の人権は医療倫理の
第一(To put the patient first)」を実現するために、それらの実践が強く期待されて
いるのである。

なお、新しい医療倫理観にもとづく内容はautonomy(自律)という言葉に集約されている。
守られるべき患者の人権はpatient autonomy、それを医師集団として守る手段が
professional autonomy(医師集団としての自律)である。古い医療倫理観から引き継が
れているprofessional freedom(個々の医師としての自由裁量)はclinical autonomyと
表現されている。

ナチ医学からの決別;戦後の医学・医療と新しい医療倫理観:

医術を最初に呪術から切り離したヒポクラテスはまた、最初に医療倫理を打ち立てる必要に
せまられたのである。呪術からの切り離しという医療の変化に対応するため、医療倫理を
打ち立てる必要があったのだ。

同じように世界医師会が新しい医療倫理観を形作ったのは、必要に迫られてである。古い
医療倫理観に基づいた医療が「本人の自発的な同意のない人体実験」という「人道に反する罪」
を犯してしまったのだ。それはナチ医学とも呼ばれる。それがニュールンベルク裁判で弾劾
されたのだ。新しい医学・医療を行うためには「人体実験」と区別しなければならない。
そのために「なずべきこと」と「なすべきでないこと」を新たに決める必要に迫られた。
その結果が「患者の人権を医療倫理の第一」とする新しい医療倫理観である。各国の医師会が
それを受け入れ、世界の医療界の常識となって、新しい医学・医療が行われているのだ。

戦犯免責という「敗戦の遺産」処理を間違った日本の医学界:

「日本軍が満州でやった石井部隊の人体実験」とはニュールンベルク裁判で裁かれた「人道に
反する罪」と同じだ。ドイツと異なり、戦後、関係者は戦犯免責により裁判にかけられることも
なく社会に戻った。日本の医学界は、彼らおよび彼らを送り出した医学界の重鎮たちを「倫理的に
非難される」ことから守った。そのために取った手段は、日本医師会に情報操作、言葉の壁を
利用した情報操作をさせることである。それにより、「患者の人権」を第一とする新しい医療
倫理観の日本上陸阻止を図ったのだ。その結果、日本の医療界では古い医療倫理観が常識と
なっている。常識となっているので「古い」ことに気づいていない。そして日本の医師は
「患者の人権」に無頓着となっているのだ。情報操作をさせた日本の医学界はもちろん、
情報操作を行い、「医道の高揚」が図れない日本医師会は倫理違反に対して歯止めがかけられない
(医師団体として自分を律することができない)状態になっているのだ。

戦後の人権意識の高まりとともに、インフォームド・コンセントに代表される患者の人権意識が
高まった。「患者の人権」に無頓着で、倫理的歯止めのかからない日本の医療界が人権意識の
高まった患者・社会に信用されるはずがない。医療にとって最も重要な医師・患者間の信頼関係を
阻害し、大きな医療不信となっているのである。日本医師会の情報操作が日本の医療を
ダメにしているのだ。

日本の医療界の現状:

患者の人権意識が高まるなか、先端医学・医療を行う日本の医学界は「患者の人権」と日常的に
向き合わされることになった。「向き合わされる」といったのは、患者側の人権意識の高まりに
押されて「向き合わされる」からである。自ら「向き合っている」と思っている医師は「患者の
人権」に無頓着なだけだ。では、なぜ日本の医学界が「患者の人権」と向き合わなければならない
のか。それは自らが扱う先端医学・医療を「人体実験」と区別する必要があるからだ。日本の
医学界は、自らの先端医学・医療が「患者の人権」侵害に当たると言われる危険性を絶えず
感じながら、世界の先端医学・医療と競争しなければならないのだ。先端医学・医療を進めるのに
必須であるのは「治験」である。日本ではなかなかそれが進まない。大きな理由はそれに必要な
「治験参加患者」が得られないからである。人権に敏感となった患者が「治験」に「人体実験」を
オーバーラップさせているからではないだろうか。医療不信の現れであろう。

医学界が曲がりなりにも「患者の人権」と向き合っているなか、時代の流れに取り残されている
のは日本医師会だ。これまで行ってきた情報操作を止められず、第一の設立目的である「医道の
高揚」が図れないという自己矛盾に陥っているのだ。このような日本医師会が日本の医師集団の
代表であり続けることが出来ないのは当然である。

結論:

ヒポクラテスが「誓い」を必要とした理由は、「その時代の先端医学・医療に見合った、その時代の
医療倫理観が必要」だったからである。現在の世界の医療界は現在の先端医学・医療に見合った
「患者の人権」を第一とする新しい医療倫理観を受け入れているのである。しかし、日本の医療界は、
「現在の先端医学・医療に見合った、新しい医療倫理観」を受け入れていないのである。

やるべきことはおのずから明らかであろう。日本医師会は情報操作を止め、日本の医療界は
「患者の人権」を第一とする新しい医療倫理観の受け入れを表明 (profess) することである。
そうすることが、新しい日本“の”医師会の出現であり、現在の医療不信を解消し、医療危機から
立ち直る、その第一歩となるのだ。

前の投稿文(MRIC 投稿中、「日本医師会の情報操作、戦犯免責と『患者の人権』、そして日本
医学会・日本医師会・日本学術会議の関係」)も参照されたい。
(2010.11.15.脱稿)

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今回の記事は転送歓迎します。その際にはMRICの記事である旨ご紹介いただけましたら幸いです。
MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp


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